Minato's memo

旅・エンタメ・日々の覚書

追悼

加藤大治郎君の事、3週もひっぱるとは思いませんでした。しかも、一番書きたくない結果となりました。でも最後ですし、自分なりの哀悼という意味を込めて。

公式の情報は9日以降ずっと更新されずにいたのですぐどうこうという事はなく後は徐々に回復すると思っていました。そうしたら昨日未明の訃報。今朝起きてネットに繋げて初めて知ったのですがつくづく神様ってどこにもいないなと思い知らされました。「天才」と言われる人は早逝とは言いますが、でもやっぱりこんな早くに逝っていい人ではありません。大治郎君にはこの3月に産まれたばかりの娘がいます。まだ1ヶ月も経ってないんですよ。残酷という以外の何者でもない。私は常々思うのですが、病死はある意味寿命ですから仕方ないという部分もあるのですが、事故とか自殺って本来の寿命より遙か手前で生を終える事だから遺された者に哀惜が強すぎるんですよね。

でもこういう事が起こるといつも思い知らされるのは人って自然の摂理で生かされているんだなと。どんなに悲しくても生理現象は起こる、おなかは空くし睡眠も取りたくなるだろうし、とにかく自分の時間軸は確かに生きて行く上で必要な事が次々起こる。悲しむ自分が居て、本能で生きている自分がいてとそのギャップがだんだん大きくなって多分1年もすれば日常で大治郎君の事思い出す事も少なくなると思います。でもふと、気付いた時に思い出さなくなる自分にまたやりきれなさを感じたりするんですよね。きっとそうやって年を取って行くんだと思うのです。だから今は本当に哀悼を込めて、遺された家族が幸せでありますよう、祈るだけです。

この間の古尾谷さんの件といい、ちょっと不幸続きでショービジネスの世界で生きる者には試練が続いてますね。年齢を重ねる事にそういう場面が増えて行くのでしょうけど。いろいろ考えさせられた3週間でした。