Minato's memo

旅・エンタメ・日々の覚書

2005年ワールドの思い出(3)

2005年、日本のライバル達に目を向けると、ロシアが圧倒的な強さを保っていた時期でした。シングル選手は怪我や病気に悩まされていましたが、自力の確かさでは常に注目の的。とはいえ、男子シングルではプルシェンコがSP後に棄権をし、戦国時代の様相に突入した大会であったんだなと思います。

圧倒的有利といわれたジュベールがSP2位からプレッシャーに沈み13位に、表彰台に立ったのはランビエール、バトル、ライサチェク。特にランビエールは前年4位から初表彰台が初優勝ということで、関係者の注目を集めていたけど才能が大きく開花した大会ともいえます。予選からSP、FS1位の完全優勝でした。バトルは日本ではいち早く注目されていましたが、怪我やタイミングが合わなくてワールド3度目の挑戦で初表彰台。ライサチェクはジュニアからの移行シーズンでの銅メダルでした。翌年の五輪ではプルシェンコランビエール、バトル、4位ライサチェクですから実力通りともいえます。

女子は地元の絶大なる声援を背に生涯でもベストといえる素晴らしいパフォーマンスをみせたスルツカヤが優勝、2位コーエン、3位コストナー、4位はクワンでした。クワンは予選5位のSP、FS3位と実力はみせてくれたのですが予選の5位が響いた形です。コストナーは伸びやかな演技。前年は5位。ノンプレッシャー時での実力は確かなのですが、コストナーが実力を発揮出来ないのは本当惜しいなと。2005年から6年を経て彼女はどんなパフォーマンスをみせてくれるのかな。

ペアはトトニマミナ&マリニン、ダンスはナフカ&コストマロフとロシア勢が優勝。この2つのカテゴリーはやっぱりロシア強い、と思わせるものでした。シェン&ツァオは棄権(怪我・・・)ダンスは今の状況から比べるとまだ「王者」が「王者らしく」勝てたカテゴリーでした。