私、昔の方が新聞を読んでいたのですが、全国紙を何度か替えた後は新聞を取らなくなりました。最近仕方なしに(?)日本経済新聞を取っているのですがななめ読みで古紙回収に。日経紙はもう少し時間があればちゃんと読む気にはなるんですが。
読まなくなった理由は「新聞だから正しい事が書いてある訳でないんだ」と悟ったからで、情報を仕入れるという意味と新聞社の主張を分析する意識の高い人なら読んでもいいのですが「正しい情報」という意味では無料のネットで充分、ということになりました。また、新聞社も商売なので「こういう内容なら購買層が反応する」という編集が入りますので、そういう方向に流れていると判断した上で情報を取捨選択するように気を付けています。
そこで気になった最近の記事から。安藤美姫ちゃんのインタビューが各スポーツ紙に載りましたがインタビュアーの編集が入ってしまったために結局本質が見えないままとなりました。彼女は繊細なので発言の影響の大きさを考慮したコメントをしたに過ぎないのですが、受け取る側のスキルに少々疑問を覚える結果となりました。真央ちゃんの先の自伝本の販売中止も自身の意図とは違う販促的発想のコピーが付いたためでもありました。
世田谷の近隣トラブルからの殺人事件、容疑の方の肩書きが「元警視」。もう警察を退職されて20年以上の人に昔の肩書きで記事にするのはその方がインパクトがあるからに過ぎません。私社会面系の事件の肩書きの書き方も注目していて、「派遣社員」「無職」などあたかも社会的地位が低いという印象を与えつつ一方では有名会社では社名から出して「エリートが何故」的なセンセーショナルさを演出したりしています。
ノーベル賞絡みの件も、住んでるところはどうでもいいと思うんですけど、とか、何を私達に伝えなくてはいけないのか、報道の世界の人は今一度考えるべきだと思いますし、受け取る私たちも実は本質とは違う情報が伝わっていることに気をつけないと、と思います。
よく思うのはYahooのトップにくるのはそれだけ煽りが強くて、希少性が高いんだよという事。世の中の人は皆基本は道徳的に生きているはずです。