Minato's memo

旅・エンタメ・日々の覚書

喪失と再生

今日でコンサートツアーも終わりですね。今回2度しか見ていないのが信じられないです。

関西地方大雨でした。東京公演も初日大雨でしたね。さすがというか何というか。

(雨が振ると井ノ原君のせいにされるのも気の毒ですが)すぐプロモーションもあるし、寂しい思いはしなさそうです。「アリーナ37℃」はまだ買っていないのですが、あまりの充実っぷりに音楽専科社どーしたんだ??と思いました。とはいえ、レギュラー掲載だったAさんが載ってない事に寂しさを覚えたりして。

このツアーの間に健君のご家族の事を知る事になり、どのタイミングで書こうかなと思ったのですがここで。ここのとこAさんの男親の方が立て続けだったんですが、彼らは今年55歳でここまで3人とも両親が健在だった方がすごいというか何というか(しかも3人とも次男だから年齢も相応)ここまでくると天寿を全うしたのかなと思います。寂しいのかもしれませんが、自然の摂理として。でも健君の親はやっぱり若いな、喪失感の方が大きいなと感じます。一方で、私自身がこの年になるまで「両親がいない」という人には未だに出会った事がなく、その一番目が自分の好きなグループから出た事に奇妙な感じも受けています。

でも、正直ここまで来ても私は家族が居た時の方が辛かったです。今の方が好きに出来ますから。仕事はやや不安定ですが、他の人に今のとこ迷惑をかけずにいますし。ひとつだけあるのは少数派故の無理解との戦いですが、それは適当に流してますので大した問題ではありません。だから健君にかける言葉としては、今後は自分の思うままに生きて欲しいなと思います。

トニセンは逆に親関係はAさんと似たとこがあるんですが(3人中2人の家が商売人というとこまで似てる)時々は感じてましたよ。少数派に対してデリカシーのなさとか。でもトニセンで無意識の理想を見てるのかな、と思う事があります。

最近は禅の本なんかを読んだりして、「生かされている」という事を痛感しています。喪失感は何年経っても拭えないものですので、その痛みが人間的な深みに繋がるといいなと思います。