Minato's memo

旅・エンタメ・日々の覚書

「あるべき論」という名の閉塞感

面白いことに普段熱心なフィギュアスケートファンの方はほとんど話題にせず、一般の「ちょっと名前知ってる」レベルの人が大騒ぎしている図式に日本の報道の闇をみた気がします。

私は、個人的には「子どもを育てる」「子どもを持つ」というのは、その後の人生は子どものものとして生きる覚悟がないとできないことだと思っています。女性の社会進出だ何だといっても社会よりも家族という原始的、生物的なコミュニティーの方が優先ですから。まして生まれて数年は大人なしでは子は自立は不可能に近いですからね。生物としての「ヒト」に備わる、基本的だけど大変なしくみです。だからこそ、生物としての「ヒト」と、知性と理性、文化を楽しむ仕組みを備えている「人間」という生き方の選択の中で「神の領域」に近い特殊スキルの人が原始的コミュニティーの方を優先するという選択は正直、もったいないとは思うのですが、本人達が選んだことですからね。今に至る間に身内が何もしてない訳ないのです。もっと近い周囲の人と初期段階で思い悩んで結論に至ったわけですから外野がとやかく言うことではないと思います。

でも、日本はまだまだ女性に対して「こうあるべき」論の方が強いというのが強い、というのを実感しました。これが男性が主ならまた違うんでしょうが、女性側が一般と違う生き方を選ぶと強いバッシングがあるんだなと。ちょっと前の矢口さんも執拗に記事になっていて不快な感じがあったのですが、今回はそれを上回り、そんな中で意思をもって自立して生きてゆくのは本当大変なんだなと痛感させられました。安藤選手の場合は見た目や実年齢と比べて幼い精神性がまた格好の標的になってしまったと思いますけどね。

でも参院選のまっただ中でこんな保守的な話、憲法改正の話もあるし日本大丈夫なの??