2005年ワールドについては、日本選手の場合、その前の全日本及び四大陸選手権での流れを語る必要があります。
女子は前年の世界選手権で荒川静香選手が歴史に残る素晴らしい演技で優勝したこともあり、彼女への期待がとても高かったのですが当の本人は「迷い」に入り込んで調整が上手くいかず、NHK杯こそ優勝しましたものの、全日本はSP1位後に棄権、前年実績を買われてワールド代表に内定したといういきさつがあります。全日本の優勝は安藤美姫選手ですが、彼女もまた、マスコミに知られるようになった時期でナーバスになっていました。そして3人目の枠を四大陸で村主選手と恩田選手で争ったという形になります。どちらも素晴らしい出来でしたが、国際的評価では不動のポジションにいた村主選手が勝った、という形です。
男子は当時のエース格、本田武史選手が怪我からの復帰でNHK杯でも精彩を欠き、全日本もどうにか逃げ切った形でした。そしてその穴を埋めるべく全日本王者の期待がかかっていた前年ワールド11位の高橋大輔選手がこれまた「迷い」のシーズンで、全日本6位という結果に終わり、シニアは2位の中庭選手のみ、3位織田選手4位小塚選手(SPは1位)5位岸本選手とジュニアの選手が間に入ってしまうという、かなり連盟としては頭の痛い結果となりました。尚、小塚選手は全日本ジュニア4位で推薦枠としても下位だった(能力は既に知られた存在でしたが体力が厳しかったのか試合コントロールは上手ではなかったです)ので尚更難しい選考でした。で、まずジュニアワールド代表として、全日本ジュニアと全日本の結果とでジュニアの選手を除外し(岸本選手には選択させたかもですね)中庭選手、岸本選手、高橋選手とで四大陸でワールド最終選考という形をとり、ISU初表彰台という結果を経て高橋選手が代表となりました。
結果として、連盟で描いた理想と現実との差が大きな大会となりました。女子は荒川選手が代表選手の中では最下位の9位、村主選手5位、安藤選手6位、男子も本田選手が予選で棄権し、後の競技を高橋選手のみで戦うという「最悪」に近い形となりました。高橋選手、SPは8位と健闘したのですが、フリーではスタミナ不足なところもあり15位となりました。
この大会、そして翌年の五輪選考以降は比較的一発選考の形がとられるようになったかなと思います。実績だけでは計れないスポーツの難しさを感じた大会でした。
私は中庭選手をひいきにしているので「たら、れば」の話で良く出て来るのがこのシーズンです。もし、この時普通の選考であったら彼がワールドを1人で戦うことになったという事でもあり、結局誰が出ても翌年の男子は「1人枠」になったのかなとも思います。中庭選手は当時スケーティングスキルで上に行く力がなく、点の上限が読める選手でした。結果、当時の男子は複数枠を取るだけの力がなかった、ということになります。
今のように男子も女子も当たり前のように複数枠を持って世界を戦えるようになったというのは大変な事なんだよなと思います。