Minato's memo

旅・エンタメ・日々の覚書

古希

4月15日に坂崎さんが、4月17日に高見沢さんが誕生日、古希となりました。
何度も書いてますがブレイクした頃80年代のライブ映像でファンの方が「アルジーになってもついていくよ」とコメントしてまして、そこから40年を経て本当に年齢を皆さん健康でこの日を迎えて素晴らしいなと、本当に尊敬します。それだけの感想です。

夏に向けて、50周年記念ライブが続いてますが、まずは無事に8月25日と、来年1月20日の桜井さんの誕生日まで駆け抜けて欲しいなと思います。世界情勢や日本国内の自然災害の多さもすでに心配の種です。

50周年イベントが目白押しで、リリースが出るたびびっくりしたりときめいたり忙しいです。高見沢さんが40周年の時に声がでなくなったこともあり、まずは健康に気をつけてとだけ祈ります。また、現時点チケットがなく春ツアーに参加できません。自力で入手できない日々が続いてますし、プレミアムメンバーにもなれずと現地が程遠いですが、ALFEEに関してはご多分に漏れずメリーアン以降のファンですし、全盛期の本数をこなしていた頃のツアーに参加していないので、行ければという程度ではいるつもりですが行けないのはちょっぴり悔しい。でもチケットを入手する努力はさほどしていないので。ALFEEマニア(ファンクラブ)にも結局入らず仕舞い。昨年末にその入会申し込み書を取り寄せはしたんですが、ファンクラブって面倒臭いんですよね。同じことをアイクリでもした私です。

私自身もファン歴40周年でした。そうか、40年・・・(感慨)1980年代の記憶が鮮明で、アルバムを聞くとその時その時の思い出がありますが、やっぱり80年代だなと。ファンスタート時は小学生で90年代初めまでは学生だったのでこの頃参加したコンサートは「TOKYO BAY AREA」と「Jean Paul Gaultie」のドーム公演のみです。これアリーナツアーだったんだ、すごいな。ドーム公演は実は、高校の時の先輩の進学先で無料チケットの配布があったそうでそれが私に送られてきました、タダで見に行ってますw当時は家のことがあったので本来はコンサートにも行ける状況ではなかったのですが、家事を放棄して出かけていきました。

95年以降もそんなには行ってないです。ALFEEはちょっとだけ、自分より2〜3歳年上の方の青春なんだろうな、という遠慮もあったり少し自分の内面を支えた楽曲という感じもありライブの方がいいと思いつつ、音源やラジオを通じてメンバーと繋がるだけでも充分なところもあったりします。中学生高校生時代に大学生、社会人の日常を描いた楽曲に共感するあたりませた子どもだなとやっぱり自分に対して思いますし、その世界観より遥かに年上になってしまった今でもまだまだ彼らの音楽に励まされています。高見沢さんの作家性って天性。当時の書籍「夢さがし」のすごい歌詞(by元ガロ 大野さん)はブレイク後に存分に書いてますが、宗教観を思えば理解できる内容です。

40年前が10周年で83年の武道館を目指してプロモーションに力を入れてくれた頃に出会った形になるので、露出が全てではあったと思いますが、楽曲変更は当人たちの意思表示だったとラジオなどのコメントを聞くと試行錯誤が形になったのが1983年〜1984年でもあったんだなと思います。そして1985年に事務所を独立しているのも先見だなと。

一方、50周年はすごいんですが、当時のスタッフが既に引退しているので20年30年より寂しい感じがあります。お祝いしたくても現役スタッフは自分が今抱えているミュージシャンの方が大事だろうしな、というのは理解できます。旧ジャニ系が25年を節目にしている印象があるのは気のせいではないと思います。

それもあり、華々しいお祭りは今回が最後なんだろうな。彼らは淡々と次に向かうと思いますけど「いつか」を覚悟して、周年のお祭りに参加していきます。

紫の食べ物、あまり無いな、冬なら紫芋のものが出てくると思うのと桜井さんの誕生日を待ってパープルワインを仕込もうと思います。

で、日本橋三越まで探しに行って見つけたお菓子、偶然にも白金台「八芳園」のもの。明治学院側の施設のお菓子、お祝い品としてピッタリすぎる。飲み物はノンアルのサングリアです。ライトはLEDでピンク色にしたらいい感じに紫になりました。