日本男子には23歳覚醒説というのがありまして、決して長く出来ないスポーツの中で特にこの年齢の時が一番良い時期だということが多いです。フィギュアスケートの場合、22~23歳という年齢は大学も単位取得も落ち着きスケートに集中できる期間でもあるようで、引退年という選手も多いので伝説が生まれる演技になります。トップ選手はジュニア時代からすごいということが多いのでもう少し早い時期にすごいと言われがちですけど、町田くんにしても無良くんにしても23歳で急激にシニアトップの力になった、という印象です(二人ともジュニア時代から強かったのでそう当てはめるのも乱暴ですが)
そんな中、村上大介くんは小塚くんが世界ジュニアを制した年、2006年にアメリカ代表として出ていました。だから13歳で出場していたということかな?当時の日本はトリノ五輪年で男子は出場枠1の時代。個人的に層の薄さを感じていませんでしたが、世間的には男子は層が薄いとされていた頃なのでアメリカで代表争いするよりはワールド代表の可能性があったという見込みもあったのだと思います。(アメリカはウィアー、ライサチェク、アボット、ライアンブラットリーなどタレント揃いだった)登録変更を乗り越えて順調に日本でもジュニア3位に入ったりして(この時の1位が羽生くん、2位が町田くん)いたのですが日本国内での急激に競争が厳しくなって全日本では2008年の5位が今のところ最高順位です。拠点はアメリカで競技会は日本という違ったハンデを持ってそれでもアメリカ仕込みのきれいなスケーティングは特筆ものでいつか・・・とは思っていたのですがその日が日本で、NHK杯で、23歳で、というのがなかなかドラマチックだなぁと思いました。
その前の大会が東日本選手権で、スコアが122点ちょっと。演技後平謝りでしたが、NHK杯へ向けての調整期間中と割り切った形で迎えたNHK杯は最高の結果。目標を持ち、形にする素晴らしさを実感した出来事でした。
村上くんに限らず、GPSはひとつの競技会ではなく、ほとんどの選手にとっては憧れの夢の舞台のひとつです。羽生くんがオーサーのプランから出場を選んだこと、無良くんが最終滑走でプレッシャーを感じたこと、GPFを意識しすぎてミスが出た女子選手、夢の舞台をノーミスで追えて感極まった加藤選手、過去にもこの舞台から世界に羽ばたくきっかけとなった選手が多数います。これは他のGPSではあまりないことでNHK杯という舞台には不思議な力が宿っているような気がしてなりません。