Minato's memo

旅・エンタメ・日々の覚書

完全燃焼

はああ、若干放心ですが・・・・THE ALFEE「最後の夏」イベントから帰ってきました。本日は会場に入れなかった人100名近く、チケットを譲って貰えた私は運が良かったと思います。どうして譲って貰えたのだろう。また、東京方面は夕立もあったようですが、横浜はお天気持ちまして、しかも終盤は雨雲がどこへやら。ただし「フラワーレボリューション」の時丁度地震があったようで・・。

どちらかというと通常の「夏イベント」という進行でしんみりと終わらすというよりは自然に楽しいまま終わらすのかなと見ていました。そんな選曲だったしね。たかみー髪切ったのかな?切るかな~とは思っていたのですが、ちょっとわかりません。希望通りオリジナルの「白夜」もやってくれたし(この曲は本当好きなのですが、油断するとダンスチューンアレンジの「クリムゾンキス」になるので)高見沢さんの衣装は露出満点だし(笑 10代のジャニーズばり)いや結構締まった胸筋だった(そこはいい)アンコール1までは実際お祭り感一杯でした。が、アンコール2の演出で「やられた!」と思いました。高見沢さん、「BAY-AREA」の時の衣装で出てきた・・・!!

夏のイベントは82年からという事になっていますが、82年こそ野外だったものの、83年は武道館だし84年と85年は横浜スタジアム前人未到というものでもなかったはずです(3DAYSはそれはそれで伝説ですが)「野外イベント」としてのインパクトは当人達にとっても86年の「BAY-AREA」が一番であったと思われます。「メリーアン」が83年で勢いで「BAY-AREA」まで行った事が今後の方向性への転換にもなりましたし。GLAYに破られるまでは10万弱人、1日の観客動員日本一の記録でもありました。その時の衣装で、高見沢さんの口からはっきりと「最後です」と言われた事、「BAY-AREA」での新曲だった「Rockdom」、そして「BAY-AREA」でのオープニング曲だった「SEE YOU AGAIN」という流れは、「泣け」と言われているようなものでした・・・・。

「BAY-AREA」は当時15歳、中三で参加した初のAさん野外イベントでした。中学生だからチケットを買う手段が正攻法しかなくて、どうすればコンサートに行けるか分からない時に「ソールドアウトなし」という触れ込みで発表されたイベントで、それなら行けるなと参加しました。今のお台場での開催、当時は13号埋め立て地と呼ばれていました。初めての野外イベントという事で(ホールコンサートは中村あゆみさんで体験済み)、拳の波、「オー」というかけ声、今でも鮮明に覚えていますし、ものすごいパワーでした。ラストの「Rockdom」では新曲なのに会場で大合唱。聖火台がセットに組まれていたのですがそこまで駆け上がって3人で挨拶した姿が強烈過ぎて、やっぱり暫く放心状態でした。外野にはこのコンサートをもって解散するのではと言われていた位(その心配は1ヶ月後のベストテンでしらっと海外レコーディング中継を入れて払拭)それから23年です。解散せず、浮き沈みもほとんどなくここまで来た彼らの努力やサービス精神、才能に感謝をしたいです。どれだけ学生時代、Aさんの曲に励まされてきたか、そして今も励まされているか。23年前に今の自分の姿は全く想像が出来ませんでしたが、美術で「Rockdom」のジャケットを描いて美術で「5」を貰ったのが今の方向に進むきっかけではあったな。やっぱり何か強い思い入れが溢れていたのかしら?形こそだいぶ変化していますが一貫して「クリエイティブ職」です。今、ちょっと模索中ですが・・・。才能があっても、売れても、はやりすたりもありますから不安が大きかったと思います。それでもここまで来てくれた、そして永遠に青春で有り続けると言ってくれた彼らの決意にも感謝したいです。

自分が初めて参加したイベントのイメージをそのままエンディングにした高見沢さんの演出能力に感服した、最後の夏イベントでした。

そういえば、「BAY-AREA」で「再」デビュー曲「ラブレター」(1979年)を歌ったのですが、今日のイベントではデビュー曲「夏しぐれ」(1974年)を歌ったのは多少狙ったのかな。だとしたら本当凄い演出力・・・。