Minato Sugisawa's memo

旅・エンタメ・日々の覚書

普遍性

お感じになっていると思いますが(笑)毎回、五輪の後ですとしばらく何もしたくなくなってしまうのですが、今回は輪をかけてひどいなと、五輪の持つ独特な重さを改めて感じています。

五輪をきちんと追うようになって7回目、(カルガリーは傍観者でした)私自身はフィギュアスケートのファンですので競技としての勝者も敗者も、分け隔てないつもりでいるのですが、世間はそうでは無い訳ですよね。五輪は特にライトユーザー向けへのストーリーを演出し誘導しがちなので結果として誰も幸せにならないような事が起こりがちです。そのことに少しばかり「引いて」しまうわけです。昔はそのような状況に憤りを感じたりしたことがありますが、7度も続くと、またか・・・という「無常観」だけが支配する感じがします。でももっと長い目でみてゆけば、そんな一過性の状況は軽く凌駕するくらい皆いい人生を送ってくれていると思ったりします。

私が選手に望むのは毎回同じで競技者でいるより普通の人生の方がはるかに長いわけで、普通の人生も平穏無事なわけではないのです。その「普通」の状況が平穏で幸せだと思える状況が長く続くこと。一過性の熱に惑わされないことをとにかく願います。何度か言ってますが一過性のファンはファンとは思っていないし、一過性の勢いで思慮が欠けている言動は視界に入れないようにしています。努力は平等でもスポーツである以上、競技である以上結果は不平等です。そして結果はたとえ最高の結末でもその1日だけであっという間に過去のものとなる非常に残酷なものでもあります。日本の場合は特にその傾向が強いので、もう少し成熟した見方が出来ればなぁと思います。

とはいえ、今回は私もプルシェンコには厳しかったですね(反省)

これも何度もいってますがいい事と悪い事の伝播力って、悪い事の方が三倍あると思っていますがネットの世界では五倍かな、と感じています。もしその五倍のためにいいことが伝わらないのならそれは非常に残念なことです。だからといって良かった探しをしすぎるのも何ですが、私自身はそういう心理があるということを気をつけて発信しています。